2016年6月29日水曜日

賢者の巻物 ⑫ 「知の考古学」ミッシェル・フーコー

    歴史とは、例えば革命とか戦争とか経済発展とかについて、その因果関係の説明のために語られる物語です。軍国主義を脱却して平和主義と民主主義を確立したという物語、東西冷戦を経て自由主義が共産主義に勝利したという物語、悪しき「ゆとり教育」を捨て「脱ゆとり」に改善するという物語等々。僕たち人間は、過去を物語として認識し、記憶します。となると、歴史の仕事というのは、あるまなざしを基にした解釈を物語ることだと言えそうです。これに対して、考古学の仕事というのは、ピラミッドや兵馬俑や古墳など、過去の遺物を発掘・発見することです。歴史による物語化がなければ、それらはただの遺物ままですが、物語が事実そのものではないのに対し、遺物とは正真正銘、遺物そのものです。

    20世紀後半、学生と労働者の革命運動に湧くフランスに、心理学出身の思想家として登場したのがミッシェル・フーコーでした。精神疾患の研究をしていた20代の頃、精神病院で行われていた患者に対するロボトミー手術を目にした彼は、心理学・精神医学の科学性に疑問を持つようになりました。そして、これらの学問が定めるところの「狂気」とは何なのかについて、これらの学問の観点から離れ、歴史を遡って探求した『狂気の歴史』を著します。

     中世と、ルネサンス期と、啓蒙主義の時代と、心理学が誕生した19世紀以降とでは、「狂気」についての言説は異なります。激減したハンセン病患者たちが消えた収容施設を埋めるため、初めて狂人を捕まえて収容するようになった中世末。狂人を神に近づきすぎた天才と見るまなざしがあったルネサンス期理性的でないと見なされた浮浪者や無職者や虚弱者や孤児や政治犯が、まとめて狂人として収容され、近代的理性を持たない者=狂人というまなざしが生まれた啓蒙主義時代。19世紀、心理学の登場後は、これらの人々と「本物の狂人」たる精神疾患者が仕分けされるようにはなりますが、非近代性を忌避するまなざしは継承され、「狂気」は排除しなければならない「病い」となります。でも、それも一つのまなざしに過ぎません。狂気の排除に科学的正当性が認められる訳ではないのです。

 その後の著述『臨床医学の誕生』や『言葉と物』においても、フーコーは常に歴史の進歩や連続性を拒絶し、資料に残る言説そのものを発掘していきます。そして、それらの言説が生まれる条件としての各時代のまなざし〈エピステーメー〉を分析することで、現代を診断しようとしました。   

     『知の考古学』は、歴史に進歩や連続性や人間の主体性を見ようとする近代の人間中心主義と対峙しながら、自らの考古学的方法論を理論化しようとした書です。現代のまなざしにおいて過去を格付けし、物語ってきたのが近代的な歴史と言えますが、この書はそうした近代の進歩主義的歴史観から離脱するための、戦術理論として書かれたのでした。

 人間の歴史は、例えば人権とか、平和とか、民主共和性とか、自由とか平等とか愛とか進化とか、そういう何らかの目的が過去から未来に向かって実現されていく物語、などではありません。それぞれの時代にはそれぞれの価値観を伴うものの見方があって、その見方を反映して様々な発言が行われ、その発言の総体がそれぞれの時代の正義を支配します。そして、その正義に適わない状況にあった過去は遅れた社会と見なされ、正義が実現されるべき未来は進んだ社会と仰がれます。フーコーの考古学とは、遺された文書から各時代の発言を読み、その全体的な支配状況を分析し、その時代特有のまなざしを発見することです。
 
    現代のまなざしは、過去のまなざしの進化・発展したものではなく、未来のまなざしも現代のまなざしの進化・発展したものではありません。そこにあるのはただの変化です。僕たちの歴史に、約束された目的などはなく、進化もなければ退化もなく、客観的には意味のない時間の経過があるだけ…。昨日と今日と明日には、何の因果関係もないかもしれない。

    だけど、それでも人間は世界や自分を物語ろうとします。物語ることで世界や自分に意味を作り、その意味を信じて、その意味を食べて生きています。それが、人間という動物の活動であり、生態なんだと、僕は思います。




2016年6月13日月曜日

賢者の巻物 ⑪ 「悲しき熱帯」レヴィ=ストロース


    ガラケーという携帯電話があります。世界的にはスマートフォンが携帯電話市場を席巻しつつある中、日本では費用・サービス・操作性等で独自の進化を遂げた従来型の携帯電話がいまだにシェアの多くを占め、根強い人気を維持しているようです。南米大陸の西方にあるガラパゴス諸島は、太古以来、大陸から孤立しつつ独自の生態系を育んできましたが、ガラパゴス携帯のように、特殊な市場・社会が独自の商品やシステムを育む現象は、ガラパゴス化と呼ばれています。

    個々の環境が独自に紡いできた商品やシステム、そして文化は、その環境に変化がなければ、そのまま独自の進化発展を続けます。でも、外来のよりグローバルな環境で勢力を持った商品・システム・文化が侵入してくると、その独自な成長は絶たれ、淘汰され、やがて消滅してしまいます。そして、どれほどその環境に適したガラパゴス文化を持っていたとしても、それが蹂躙されてしまったら、その地域は、グローバル化した文化が未発達であるだけで、グローバルな基準から未開社会と呼ばれます。

    フランスの民族学者レヴィ=ストロースは、南米ブラジルの先住民社会で行ったフィールドワークの成果と、第二次世界大戦中の亡命先アメリカでロシアの言語学者ヤコブソンから学んだ構造言語学の方法論を元に、論文「親族の基本構造」を執筆します。その著書において彼は、未開社会に見られる婚姻制度・交差いとこ婚には数学的に巧妙な記号体系があり、近親婚を回避して部族社会を維持する構造が成立していることを発表しました。ここに、20世紀後半の思想界に大転換をもたらす、構造主義の狼煙が上がりました。

   「悲しき熱帯」は、レヴィ=ストロースがブラジルの少数民族を訪ねた旅の記録で、未開社会の文化習俗に対する分析と、西洋中心主義に対する痛烈な批判、人類と文明に対する自己の思想を記した極上のエッセーと言われています。この本に登場するカデゥヴェオ族、ボロロ族、ナンビクワラ族、トゥピ=カワイブ族など、人口も言語も習俗も宗教も異なる幾つかの部族の人々はみな、男女ともにほぼ全裸で生活し、その外貌は正に未開人です。しかし、彼等の生活は神話的・呪術的・象徴的な記号の体系によって、独自の豊かさを保守していたのです。レヴィ=ストロースは、こうした未開社会の文化には近代科学の概念的思考と同等の合理性があると言い、それを「野生の思考」と呼びました。   

   しかし、ガラパゴスなそれらの文化も彼がフィールドワークを行ったその時点で辛うじて保守されていただけでした。スペインによりマヤ、アステカ、インカという大文明が破壊され、ポルトガルによりブラジルが植民地とされ、キリスト教宣教師により伝統的信仰が解体され、疫病により暴力的に人口が激減した、悲しき熱帯。紡ぎあげられた文化の織物は、ひとたび断ち切られれば、再び紡ぐ者はやがていなくなるのでした。

賢者の巻物 ⑩ 「相対性理論」アインシュタイン


駅を通過中の列車の中でAさんが、プラットホームでBさんが、同時にボールを下に落とすとします。AさんにもBさんにも、自分のボールは真下へ向かっているように見えます。しかし、列車の速度で進むAさんのボールを、静止しているホームのBさんが見ると、電車の進行方向斜め下向きに進んでいるように見えるはずです。すると、Aさんのボールが移動する距離は、Bさんのボールが移動する距離よりも長くなります。でも、落ちるのは同時。時間は、距離割る速さで求められます。Aさんのボールは、落下速度に列車の速度を加えた速さで進むので、距離も長いけど速度も大きい。ですから、床に到達するまでの時間はBさんと等しくなるというわけです。

次に、宇宙ステーションを光速に近い速さで通過するロケット内でAさんが、宇宙ステーションでBさんが、同時に真下へ向けて懐中電灯の光を照射するとします。すると今度は、Bさんが放つ光が床に到達した時、Aさんの放つ光はまだ床に届いていないのです。なぜでしょう。光速は秒速30万kmより速くはならず、そのため光速で直進するロケットの速度を加えることができないからです。よって、距離は延びるが速くはならない。ですから、Aさんの照射する光が進む時間は、ロケットの移動する距離の分だけ、Bさんを基準にすると遅くなるのです。

1905年、スイスの特許局に勤めていたドイツ生まれのユダヤ人アインシュタインは、博士号取得のために提出した「特殊相対性理論」に関する論文により、人類の世界観に変革をもたらすことになりました。

ニュートン力学は、宇宙に絶対的な時間と空間があることを前提に構築されていたが、電磁気学におけるマクスウェル方程式の発明と、光の不思議な性質の発見で、この前提は覆ることになります。赤道上、地球の自転速度は時速1700km。太陽からの光は、太陽へ向かう位置の方が、太陽から離れる位置より、速くなるはずです。ところが、その差は測定されません。この光速度不変の原理を基に、アインシュタインは科学的事実として、つまり、数式による事象の言明として、絶対的な時空間を否定しました。その代わりに、光速が絶対的な尺度の王座へ就くことになりました。 

慣性系の速度の違いによって、時間は伸びて空間は縮みます。更に、光速に近づく物質の質量は急速に増大して加速を抑え、秒速30万kmを越えないようにブレーキがかかります。質量の増大はエネルギーの増大を意味します。E=mc2。これもまた、アインシュタインが導いた結論の一つです。

1916年、重力が質量による時空間の歪みであることを示すアインシュタイン方程式の完成とともに、「一般相対性理論」が発表されると、次のことが認識されるようになります。つまり、不動の時空間は存在しないこと。時空間は、歪み、捩れ、消え去りもするということ。

これが、数式の描く宇宙の実在です。

2016年5月23日月曜日

賢者の巻物 ⑨ 「遠野物語」柳田國男



「存在」とは「用具性」をもって「ある」こと。哲学者ハイデガーはそう言明しました。でも、存在にはもう一つの性質、「他者性」があります。

日本語で「存在する」は、「ある」の他に「いる」とも言います。日本では古来全ての存在は、「他者」として「いる」ものでした。存在者から他者性を切り捨てると、用具性が残ります。人間にとって、存在から他者性を切り捨てて用具性を見出すことは、合理的になることです。僕たちは、合理的であろうとして、非生物から他者性を切り捨て、非動物から他者性を切り捨て、非哺乳類から他者性を切り捨て、非人間から他者性を切り捨てます。条件次第では人間からも他者性を切り捨てて、合理性を手に入れます。現代では一般的に、言語を解す心を持った人間だけには他者性を認め、人間以外を他者と見なすことは、擬人化、偶像化と呼び、文学やエンターテイメント以外の場所でそれをやると、非合理として批判されたり、不思議君として扱われたりします。でも、存在は根源的に他者性を持っています。それを捨象するかしないかは、人の勝手でしょう。

日本民俗学の開拓者、柳田国男が著した民俗学誕生のモニュメント的書が「遠野物語」です。農商務省の官吏だった柳田は、日本各地の民話伝承に興味を持っていました。歴史家が資料を元に描く歴史は、戦争や反乱など社会の表に現れる事件の記述に偏り、民衆の生活文化が隠されてしまいがちでした。隠れた民衆の生活史を描くには、人々が継承してきた伝統風俗の観察と、語り継がれた民間伝承の蒐集をするしかありません。そう考えて各地の民話を蒐集していた柳田は、岩手県遠野町の民話蒐集家である佐々木喜善から聞いたその地の怪談・奇談・神話を纏め、「遠野物語」を世に出しました。

「願わくは之を語りて平地人を戦慄せしめよ」と著者が述べたように、山村の民が伝える山神・山男・雪女・天狗・大蛇・白鹿・狐・幽霊・座敷童・河童などとの邂逅の物語は、合理に走る都市民へ、怪異のリアルな実在を知らしめました。

柳田は妖怪や幽霊を、科学によって暴かれるべき迷信とは見なしません。彼にとって怪異の伝承は、人々の信仰の有り様とその変遷の歴史を知るための、「事実」でした。後の著書「妖怪談義」では、他者としての水辺や水源に対する人々の畏敬の念が薄れていく中で、河の童子として現れていた水神が信仰を失い、蛇と猿のハーフのような、頭に皿を載せたカッパという妖怪キャラへ零落していく変遷が分析されています。

突発的な狂気が生む殺人事件を、「狐憑き」という説明で納得する昔の民と、「荒廃した現代の心の闇」として納得する今の民。民俗学は科学を目指しつつも、やがて、非合理の合理を見抜く思想に根拠を与える学問になります。

2016年4月24日日曜日

賢者の巻物 ⑧ 「存在と時間(下)」ハイデガー


  「武士道と云ふは死ぬことと見つけたり。」江戸時代中期に著された武士道倫理の名著「葉隠」の一節です。人間は、他人と交換できない己の「死」へ臨んだ時、他人と交換できない己の「本来性」へ呼び戻されるようです。そして、本来あるべき自己の可能性へ自分自身を投げ入れる選択の自由を獲得します。「死」に臨む「生」を知るとき、「在るべき生」を生きる可能性も開かれる、というわけです。

  幼い頃、死ぬのが怖かったことはないでしょうか。死について教わることもないうちから、子供は自分が存在しなくなる不安を感じることができます。存在する以上、存在しなくなる可能性も、あるわけですから。人間は、その不安から逃れ、死を免れることを志向して、集団的にそのための手段・方法を探し、その志向に適う用具的存在たちを味方にします。そして、死に背を向けた日常的世間へ頽落し、死の不安を忘れようとします。

  ドイツの哲学者ハイデガーが1927年に発表した「存在と時間」は、「存在すること」について探求した書でした。その第一編では、周囲の事物を用具的存在として了解する人間を現存在と呼び、存在を存在させる存在として定義しましたが、第二編では、現存在の存在の意味を時間性として解明していきます。

 現存在は、「関心」を旨として存在していますが、日常的な「関心」は世間話の中へ埋没し、非本来的な状態に投げ出されている世間的自己として生きています。しかし、「死」という他者と交換不能な、全てが不可能になる最後の可能性に臨む時、個の現存在は世間から切り離されて孤独になり、本来的な自己を取り戻します。では、何が現存在を「死」に臨む本来的な自己へと呼び戻すのでしょうか。ハイデガーはそれを「良心」と呼びます。「良心」とは「後ろめたさ」を抱える現存在自身からの呼び声です。「良心」に従い、自己のあるべき可能性へ自己を投げ入れる覚悟を持つとき、現存在は自己の最後の可能性としての「死」へ臨む存在になるというわけです。

 重要なのは、この本来的な可能性としての「死」へ向かう存在の意味が「時間性」であるということです 。死への可能性から「将来」が、後ろめたさから「過往」が了解され、最後に決断し行動する「瞬視」が生まれます。時間とは、こうした存在の意味として生起するものです。通俗的な過去・現在・未来へと流れる時計的時間は、ここから派生した概念に過ぎないと、ハイデガーは言ったわけです。

  良心に従いナチス・ヒトラーに賭けた彼は、希望から失望、絶望、敗北へと墜ちていきました。でも、「存在と時間」は二〇世紀最大の哲学書として今も君臨しています。


2016年4月21日木曜日

賢者の巻物 ⑦ 「存在と時間(上)」ハイデガー

  机の引き出しからなくなったトンカチを探したら、机の上にあった。トンカチが宙に浮かない理由を考えたら、万有引力の法則があることが分かった。教科書で調べたら、ニュートンがこの法則を発見したという事実があった。物がある。法則がある。事実がある。

  何かがあるかどうか、僕たちは探したり考えたり調べたりします。もちろん、物事が「ある」ということがどういうことかなんて分かっている、つもりです。でも、「ある」って何?と聞かれても、簡単には答えられません。「存在」を、定義できないということです。そもそも、質問がおかしいです。「ある」がどういうことかなんて、分かりきったこと、であるはずなのですから。

  第一次世界大戦後のドイツで哲学を講じていたハイデガーは、師のフッサールから「現象学」という、認識と存在に関する哲学を学んでいました。「現象学」は、あらゆる学問上の概念や日常的な概念に基づく判断をいったん保留して、純粋な意識の前に現れる「事象そのもの」を捉え、それを全ての学問の基礎にしようとする哲学として提示されていたのですが、この現象学の 方法を使って、「存在する」とはどういうことかを究明したのが、『存在と時間』です。

  この本は「存在」について探求していますが、それは、「なぜこの世界は存在しているのか」といった存在の起源の探究ではなく、「世界は本当に存在しているのか」といった存在についての証明でもありません。あくまでも、「ある」とはどういうことなのかについての究明を目指しています。そして、その究明により、私達にとって分かりきった「存在する」が、私たちに定義しがたい理由も見えてきます。「ある」が分かりきったことになっているのは、私達が、存在を存在させる存在として存在している存在だからでしょう。

  『存在と時間の第一編では、このように実存を生みだす人間を「現存在」と呼び、現存在が自己や事物を存在させる構造を「配慮・了解・解意」の順で説明しています机上にある物は、釘を打とうとする時、叩くという用具性が了解され、トンカチとして解意されます。机はトンカチが置いてある場所という用具性を持って現れ、それらがある「所」として「空間」が現れます。そして、空間の広がる「世界」というものも現れます。これは、現存在を含め全ての「存在」が「世界-内-存在」であることを開示しています。

  現存在は、世界内の共同現存在たる他の人間に、自分の解意したことを「言明」します。言語による会話は、存在を言明することであるはずだったのですが、世間話として交わされるうちに存在は曖昧になります。現存在は、この世間話の世界に溶け込み、非本来性へ投げ出されて「頽落」した状態を日常としているのです。

  では、非本来性へと頽落した現存在は、どうやって本来性を取り戻すのでしょうか?そして、「ある」ということは、どのように「時間」と関わっているのでしょうか?そもそも「時間」とは、なんなのでしょうか?
  その探求は、第2編へと続いて行きます。


2016年3月26日土曜日

賢者の巻物 ⑥ 「一般言語学講義」F・ソシュール

   初めに言葉ありき。人は言葉を交わしあうことで、社会を営みます。人間にとっての現実とは、社会的現実だし、社会的現実とは、言語という記号の織りなす現実です。

   日本では「蝶」と「蛾」を区別していますが、フランスでは両者はともに「パピヨン」と呼ばれます。生物学的にも同じ鱗翅目で、明確な分類はありません。それでも、日本で蝶と蛾は違う虫です。ブリの煮物とハマチの刺身、料理しか見たことのない人にとってはそれぞれ別の魚ですが、知る人にとっては成長段階の異なる同じ魚です。別の名前がついていれば、言語記号の作る現実において、科学的には同じ物でも別の実在になります。僕たちの世界は、知っている言葉の数だけ広く、言葉たちの関係の分だけ複雑になります。

   19世紀のスイスに、裕福な名門貴族にして、幾多の著名な学者を輩出した家に生まれたフェルディナント・ソシュールは、早熟の天才と呼ばれ、ヨーロッパ学問の本場であるドイツとフランスにおいて、十代の頃から比較言語学者としての名声を得ていました。しかし、彼は同時代の言語学に疑問を感じてもいました。当時の言語学と言えば、各言語の起源や、各言語がいかにして分岐したかや、いかに「進化」してきたかなど、言語の歴史的変遷の様態を探求する通時言語学が中心です。でも、ソシュールは、現在進行中の言語現象の厳密な科学的構造を探求することこそが、自分の取り組むべきテーマだと考え、それを共時言語学、一般言語学と呼びます。

 そんな彼の言語についての理論を紹介したのが『一般言語学講義』です。しかしこの本、著者は彼ではありません。彼の死後、弟子のバイイとセシュエが、スイスの大学で三度に渡って行われた一般言語学に関するソシュールの講義を、学生たちのノートを編集して再現したのがこの書でした。

 ソシュールは言語を、実際に話され聞かれ書かれ読まれる言語使用「パロール」と、そうした使用を可能とする言語システム「ラング」に分類し、前者は言語変遷の原因であるため通時言語学の対象とし、後者を科学的探究たる共時言語学の対象としました。彼はその「ラング」を、「恣意的な体系」と捉えます。各単語は、その音声形式「シニフィアン」と概念「シニフィエ」が一体となったものだと言えるのですが、両者の繋がりには合理的必然性が見出せないからです。実際、「机」をisu、「椅子」をtsukueと呼んでも本質的には問題はありません。更に、一般言語学では各単語の意味・価値は、他の単語との差異のみだといいます。「机」と「椅子」の意味・価値は他の家具との差異であり、チェスのコマたちのように、全ての言葉は、相対的な差異の体系の中でのみ意味と価値を持つということです。

   ソシュールは存命中、自説を不充分・不完全なものと考えていましたが、彼の言及から導き出された「言語記号の恣意性」は、20世紀後半の哲学・思想を席巻したフランス現代思想の源流となり、神話的な影響力を遺したのでした。

賢者の巻物 ⑤ 「妖怪学」井上円了

お化け」を見たことはありますか。日本の風土は夏に蒸し暑く寝苦しいこともあり、昔からお化けは夏によく出るとされていましたが、現代では、貞子さんもトイレの花子さんも、あまり季節は気にしないようです。

   お化けにもいろいろありますが、日本では大きく妖怪と幽霊に分けられます。妖怪とは様々な場所で起こる不可思議な現象に与えられた名前であり、幽霊は恨みを抱いた死者の怨念のことのようです。どちらも科学的、物理的には実在しないわけですが、にもかかわらず、お化けは実在してしまいます。

   本物のジバニャンやゲゲゲの鬼太郎と握手はできませんが、不可思議現象は前近代に限らず今でも起こります。死んだ人間が物理的に活動するはずはないですが、「恨みを抱いて死んだ人間」はたくさんいるでしょう。「人を呪わば穴二つ」と言います。切腹、特攻、自死による他者攻撃という呪術にすがる衝動は、日本語の精神にはしばしば宿ってしまうようです。怪異や怨念は、人間にとっての現実である意識の世界で、やはり実在してしまうのです。

   東洋大学の創設者、井上円了は、明治を代表する哲学者であり教育者です。しかし、彼の名前は哲学よりも、妖怪研究のパイオニアとして知られています。

   哲学による日本の近代化を目指した円了は、無知蒙昧な迷信から人々を解放するため、古今の妖怪に関する文献を渉猟し、全国各地の怪異譚を取材して、様々な不可思議現象について、物理学・医学・心理学上の知見から合理的に真相を究明していきました。妖怪についての膨大な知識と、探偵さながら怪異を暴くその様より、「不思議博士」「妖怪博士」と呼ばれます。

   『妖怪学』は、彼が妖怪と呼ぶ様々な怪異現象の紹介と、それに対する科学的解釈、迷信批判を展開した論文です。例えば、「こっくりさん」という現象が起こる物理的・生理的・心理的原因を解明します。そして、その起源が決して古いものではなく、明治期に、アメリカ人が伝えたテーブル・ターニングという占いであることが暴かれてしまうのです。

   妖怪を、科学的に未解明な現象である真怪」、自然現象によって実際に発生する仮怪」、誤認や恐怖感などの心理的要因が生む誤怪」、人が人為的に引き起こす偽怪」に分類し、俗信の打破を目指した円了でしたが、妖怪を否認したわけではありません。妖怪とは「心これなり」とし、宗教信仰を奨励して霊魂の不滅を説いてもいます。

   自分が害した死者の悪夢にうなされる者へ、「幽霊なんて非科学的ですよ」と言ったところで意味はありません。そんなことは分かっているんですから。科学的に実在しない実在は、科学の力では消せません。だから怖い。だから人は、鎮魂の儀式を必要とします。死者の魂を鎮めることで、生者の心を鎮めるために。

   妖怪はその後も、柳田國男など民俗学者たちによって、体系的に研究されていくことになります。

賢者の巻物 ④ 「プロテスタンティズムの倫理と、 資本主義の精神」マックス・ウェーバー


    欲望は景気を活性化します。資本主義経済は、労働者を搾取する資本家の貪欲な利潤追求と、消費者のこれまた貪欲な消費欲を、システムとして不可欠としています。だから、積極的に欲望が鼓舞され、欲望こそが資本主義の精神的原動力だ、と普通は思われています。

   しかし、グローバル化した現代の国際経済を形成した近代資本主義は、営利追求を徹底的に敵視する、キリスト教プロテスタントの原理主義的な禁欲倫理によって、生まれてきたものでした。

   20世紀初頭、ドイツの社会学者M・ウェーバーは、彼と同じく社会学黎明期にあってこの学問の発展に寄与した先哲マルクスが、その著「資本論」で示した史的唯物論の反証とも言える理論を発表しました。

   ヨーロッパでは16世紀に、長きに渡って人々の精神世界を支配してきたカトリック教会の腐敗、ルター敢然と糾弾、宗教改革が始まります。新教プロテスタントの誕生です。しかしそれは、カトリック教会の支配下では詳しいキリスト教の教義を教えられず、形式的な信仰しか持てなかった一般信徒にも、修道僧のような厳格な信仰生活を求める、より原理主義的な運動でした。信徒に求められたのは、「祈り、働け」、そして「営利を求めるな」という生活です。この生活態度がより厳格に求められたのが、スイスのプロテスタント指導者カルヴァンに教化されたカルヴァン派の信徒です。誰が神に救済されるかは既に決定しているという「予定説」を採るカルヴァン派では、自分が救済されることを、神の意に沿う生活をしているか否かで確信しようとします。神に定められた者は、己の天職に没頭しているはず、ということです。ここに、労働を宗教的行為とする文化が形成されます。しかも、営利追求は禁じられていたため、利益がひたすら蓄積されたのでした。

   産業革命は蒸気機関などの技術革新が発生条件として不可欠でしたが、その技術を使用するには蓄積された多額の資本と、自己犠牲的ともいえる職業倫理を持った労働者が不可欠でした。こうして、プロテスタントの職業倫理から、資本の拡大に義務感を持つ資本主義の精神が生まれたのです。しかし、その精神が外部的社会機構として定着すると、内面的な宗教倫理とは無縁の、商業主義・拝金主義がシステム化された近代資本主義に転換していきます。

   唯物論者のマルクスは、人間社会では、物質的・経済的条件である下部構造が、政治・宗教・文化といった精神的条件である上部構造を形成すると主張しました。しかし、ウェーバーはそれとは全く逆に、宗教や文化が物質的・経済的現象を現出することが、人間社会の歴史にはあることを証明したのでした。

賢者の巻物 ③ 「経済学・哲学草稿」K・マルクス

   僕たちは、グローバル化した資本主義社会を生きています。それは、自らの意志と努力によって夢を実現できる社会、ということになっています。様々な事業、最近ではIT関連で億万長者になった企業家や投資家たちの存在が、確かにそれを実証してはいます。しかし、その一方には、就職難・リストラ・非正規採用などの理由で、安定した所得を得られな人たちもいます。また、モノカルチャー経済の下で、先進国市民の贅沢心を満たすために、低賃金で働く途上国の労働者たちもいます。彼らは、自分の働く農場のカカオで作られたチョコレートケーキを、一生口にすることがありません。

   産業発展の著しい19世紀のドイツ。そこでは、自由を実現する精神の運動として世界史を説くヘーゲルの観念論哲学が、近代哲学の完成体として勢威を奮っていた地でもありました。ユダヤ系ドイツ人のマルクスも、そのヘーゲル哲学を学んでいた一人の哲学青年だでした。自由主義者で多少浪費癖のあったこの青年は、大学教授職を目指していましたが、それに失敗、ジャーナリストになることでその運命を大きく変えることになります。自由主義の立場から封建的保守体制を批判していく過程で、資本主義社会における労働者の悲惨な窮状を見て、資本主義がその正当性の根拠にしたアダム・スミス等の国民経済学について研究しました。そして、社会主義者、共産主義者に生まれ変わります。「経済学・哲学草稿」は、26歳のマルクスが、経済学により理論的支持を得ている資本主義が生み出す社会矛盾を指摘しつつ、自らの思想基盤であったヘーゲルの観念論と西洋哲学を攻撃する論文であり、後の大著「資本論」のルーツとなる草稿です。

   資本主義下の労働者は、資本家の富が増せば増すほど窮乏し、自分が生産した製品を自分の物とすることのできぬ労働に、疎外感を抱かざるを得ない存在となります。格差は広がり、対立は深まり、人間性は失われていきます。経済学は、公平な競争が国家の富を増やすとして資本家の活動を擁護しますが、現実には格差は拡大する一方です。哲学は、観念の整合的な体系化を目指して、ヘーゲルはそれに成功したともいえますが、現前する生の社会問題に対しては力を持ちません。マルクスは、ヘーゲルの観念論を批判したフォイエルバッハの唯物論を更に進め、類的存在としての人間、生の社会的存在としての人間に全ての根拠を置きました。そして、人間が社会的存在としての自己を取り戻すため、科学的に社会と経済を分析し、資本主義を打倒する革命の意義を説いたです。

   歴史上、マルクス思想による革命は、結果的には失敗しています。でも、資本主義の矛盾は消えず、社会的存在であろうとする社会主義の実践的活動は、今なお続いています。

賢者の巻物 ② 「論理哲学論考」L・ヴィットゲンシュタイン

   哲学には、一つの最終解答が示されています。「語り得ぬことについては、沈黙しなければならない」という解答が。

   様々な事実が言語に写し取られていることで、人間は言葉を使って語ったり(他人に説明したり)、考えたり(自分に説明したり)することができます。そして、説明が成立するには、言語が論理規則という条件を持っていることが不可欠です。例えば、事物をXとYの座標に写し取れば、その場所や形を座標の規則に従って説明できます。同様に、「AはBだ」とか「AはBではない」とか「AならBになる」などの論理規則があることで、複雑な説明も可能になります。言語が論理規則を持っている以上、言語に写し取られた事実も論理規則を持っているということになりそうです。なぜなら、事実の集合である世界は、言語化した事実である命題の集合でもあるため、言語と同様に論理形式・因果関係が観察できるからです。そして、論理の空間が言語でできている以上、言語の限界は世界の限界とも言えます。

   オーストリアの青年ヴィットゲンシュタインは、第一次世界大戦のさなか、志願兵として赴いた戦場の銃弾飛び交う死線上で、論理について考えていました。その当時、ドイツの数学者フレーゲの考案した形式論理学が、イギリスの数学者ラッセルよる修正を経ながら、論理学に革命を引き起こしていました。二人に影響を受けたヴィットゲンシュタインが、戦場で論理についての考察に没頭して完成させたのが、20世紀を代表する哲学書「論理哲学論考」です。

   論理空間内の事実は、真偽の判定が可能な命題に限られ、真偽判定不能な命題は存在が無意味とされます。よって、真偽判定の可能な科学的命題以外の、善や美や神や魂など、実証不可能な命題は全て無意味、沈黙すべき対象となるのです。哲学とは、語り得るものと語り得ぬものを仕分ける活動で、真理を語ることではないのだと、この書は主張し、後の英米系の分析哲学に大きな影響を残します。

   「論理哲学論考」は、論理とは何かを論じてその発展に寄与した、難解な論理学の書ですが、その独特な構成には、どんでん返しがあります。論理についての記述だったはずの文章は、語り進むうちに、論理の外側に秘められた語り得ぬ神と倫理と生の意味を読者に示す、神秘の思想書にもなっているのです。ヴィットゲンシュタインは、この書をもって哲学の終了を宣言しました。しかし、もう一つのどんでん返しがありました。彼は15年後に哲学に復帰、「言語ゲーム」という、自らの論理中心主義を批判する概念を立て、フランスを中心とした後の大陸現代思想にも影響を残すのでした。

賢者の巻物 ① 「善の研究」西田幾多郎

   欲望のままに生きる人間が、道徳的な理想に向かう人間へ、「お前のしていることも自分の願望をかなえるための行動だ。つまり俺と同じく欲望で動いている訳さ。行動ってのは、みんな欲から生まれてるんだ」と言います。人間と動物の全ての行動原理を、「欲望」として理解し説明する、欲望一元論。

   これは確かに分かりやすいですね。でも、行動についての理解と説明の怠慢のような気がします。人間も動物も、残念ながらそれほど単純にはできていないみたいです。現実には、快楽への欲望は、行動の起因の一つでしかありません。動物は、個体としての身体的欲求や危機回避よりも、種や群れの生存のために自らの命を落とそうという、自己犠牲的衝動に突き動かされることが、少なからずあるようですから。社会的動物たる人間は、身体的欲求と、社会的に存在しようとする道徳的意志との間で、しばしば葛藤します。そして、そこに意識が生まれます。つまり、身体的欲求が何の障害もなく通っている間、人間は無意識なのですが、個体の欲求が自然や社会と衝突する時、或いは自らの社会規範など種々の衝動と矛盾し合う時、神経には負荷が発生するので、その矛盾を解消・克服・統一しようとする作用が働き、「純粋経験」という意識、無意識に戻ろうとする無意識でない状態が生まれるのです。

   近代日本の哲学者、西田幾多郎は、その著書「善の研究」において、「純粋経験」をこの世界の唯一の実在としました。そして、科学も芸術も、道徳も宗教も、人間活動の全てを、精神の矛盾・葛藤状態である意識の統一運動として説明したのでした。

   「善の研究」では、感覚も思惟も、意識の働きは全て純粋経験と呼ばれます。これは、意識することであると同時に意識されることでもあります。意識する主体と、意識される客体とは、一つの純粋経験を別の面から示した抽象的概念にすぎず、意識する自己は意識される世界であり、世界は自己であるということになります。また、純粋経験は矛盾・葛藤を克服し統一する作用でもあるから、社会的動物として存在する、言語と文化を持つ人間の精神においては、純粋経験は他者を愛し尊重する衝動や、理想社会の実現を目指す衝動に則る統一作用としても現れます。西田は、純粋経験のこの倫理的作用・運動が「善」であると言います。そして、個人の意識を言語・文化の体系である人類精神の一細胞とする一方、その人類精神を突き動かす宇宙の根源的意志としての神でもあるとしました。神は意識する主体であり、世界は意識される客体であり、両者は一つの純粋経験であるということです

   ソクラテスからヘーゲルに至る古今の西洋哲学、キリスト教神学、儒教思想、そして仏教哲学の研究に加え、参禅修行の実践に基づいて構築された西田哲学。その哲学体系に個人名を冠せられた者は、近代日本では西田幾多郎一人です。

2016年2月7日日曜日

哲人の記 12  ニーチェ


   もしも、今生きているこの人生が、来世でも寸分違わず同じように繰り返されるとしたら。苦しみ多きこの人生が、何度も何度も永遠に繰り返されるとしたら。あなたは今の人生をもう一度生きてみたいと思いますか?
   
   19世紀後半のヨーロッパ、技術革新と産業革命によって近代合理主義は大衆化し、キリスト教の世界観は科学的な常識に圧倒されてしまいます。かつて科学者ガリレイの地動説を否定したローマ教会の説く宇宙観には、もう権威がなく、人格を持った神は、妖精や魔女などと同様、非科学的な存在と見なされるようになってしまいます。

   「神は死んだ。」ドイツの哲学者ニーチェは、この言葉によってこうした時代状況を端的に指摘しました。しかしこの言葉は、単に宗教と教会の権威が落ち、人々が迷信に囚われずに理性によって合理的に生きる時代が到来したことを告げるものではありませんでした。「神の死」とは、普遍的・絶対的な真理や理想が消え失せ、今後数世紀に亘って根源的に無秩序な価値相対主義の時代が来ることを予言する言葉でした。

   ニヒリズムとは、普遍的・絶対的な価値基準の存在を一切認められない精神的態度を指してニーチェが名付けた言葉です。神の死は、キリスト教の教えてきた愛や道徳の根拠が消えたことを意味します。そして、何も確実なものがなく、何も信じられない状況で、理想も目標も持てぬまま、ただ惰性的にその日その日を安楽に生きようとするだけの人間が、ゆっくりと確実にヨーロッパの地に増殖していく。近代ヨーロッパが陥りつつあるそうした世相に、ニーチェは警鐘を鳴らしたのでした。

   彼は、その状況を生み出した元凶は、ソクラテス以来の真理を求める哲学と、絶対的真理を大衆化したキリスト教であると考えました。そもそも真理などというものは存在せず、それまで信じられていたものはヨーロッパという地球上の一地域の文化が形成した、世界についての視点の一つに過ぎないのに、絶対不変のものだと哲学やキリスト教が信じさせてきたため、それが覆された途端、虚無感に襲われる人々が現れるようになったのだ。そう考えたニーチェは、反哲学・反キリスト教を自己の思想的態度とし、ニヒリズムを克服する方法を人々に伝えようとしました。

   ニヒリズムの徹底、それがニーチェのニヒリズム克服の方法でした。つまり、一般の道徳的善悪などは文化や状況によってすり替えられるものだと断じて顧みず、ただ自己にとって悪いものは捨て、ただ自己にとって良い道を選んで進むことで、人生を輝かせることができるのだということです。そうして、再び生まれて来ても全く同じ人生を送りたいと望めるように生きられる人間を、彼は「超人」と呼びました。

   この世界が永遠に回帰し、今の人生が永遠に繰り返されるとしたら、あなたは今をどう生きますか。

哲人の記 11  ヘーゲル

   
 一人の子どもが生まれます。するとその意識に、無数の色や音や臭いや触感が現れます。そこに何かが、「物」が、確かにあると彼は思います。しかし、目の前の「物」は、彼が後ろを向けば姿を消してしまうのです。一方で、意識は継続して彼の中にとどまっています。確かにあるのは私の意識だと、彼は思います。確かにあるのは「物」か意識か、対立が生じます。ですがこの対立は、目の前の「物」が継続する意識の中に継続して現れ、「それがある」という確かな「事」になることで統一されます。この統一が知覚とよばれるものです。
 
 やがて彼は社会の中で、言葉と概念を身につけます。そして、目の前にある何かが、例えば「机」であることを知ります。その「机」は、「固い」「重い」「茶色い」などという様に、概念的に意識にとどまります。そして、この「机」はそれらの性質を本質として持っていることになるのです。更に、その「机」は、知覚する主体である個人の意識にのみ現れたのではなく、彼が言葉と概念を通してつながっている人類の精神ネットワーク上に現れ出たものでもあります。こうしてこの「机」は、人類の精神世界で客観的普遍的に存在することになります。この意識の働きが、悟性です。
 
 彼の意識は、様々なものの認識の後、終には自分自身を対象として意識するようになります。この自己意識(自我)は、自己内部の欲望を実現しようとしています。が、自然はそれを簡単には許さず、対立が生じます。また、彼と同じく他の人間も、彼と同様に欲望を持っており、双方の自己意識は互いの欲望実現のために対立します。さて、欲望の勝利には限界があります。自己意識は自然や社会の壁にぶち当たることで、その法則を内部に受け入れ、これに従う理性となります。
 
 こうして理性は、人間精神のネットワーク 上にある制度や道徳に従うことになったわけですが、これは一方で自己意識の欲望としばしば対立し、道徳と幸福が矛盾し合うことになります。また、ある制度や道徳は別の制度や道徳と対立することもあります。ここに理性は絶対命令としての道徳を越え、理想を行動によって現実化し、同時に他者の承認も得ようとする「良心」へと発展するのです。
 
 18世紀末、西洋で発展した合理主義はフランス革命へ結実しながら、恐怖政治やナポレオンの独裁へと挫折しました。そんな激動の時代に登場したヘーゲルは、「正」と「反」の対立が「合」として発展を生むという、弁証法的な精神発展の歴史を解明し、人類の精神ネットワークであり世界が実在する場である「絶対精神」に、個人の意識を一体化させることを理想とする哲学を説きました。
 
 彼をもって古代ギリシャ以来の西洋哲学は体系的な完成を迎えることになるのでした。

2016年1月28日木曜日

哲人の記 10  カント


理性とは、どこまで正しいものなのでしょう。理屈は通っていても、おかしな論理というものはあります。白を黒にひっくり返す弁護士の詭弁は、大変頼もしいものではありますが、理に適っていても必ずしも正しいとは感じられない時もあるでしょう。でも、論理が正しい限り、間違いの指摘もできません。

18世紀のヨーロッパ、ドイツ人のイマヌエル・カントは、理性について考えました。理性はどこまで正しく、何のためにあるのかということについて。

彼はまず、正しい認識とは何かを考えました。そして、事物そのものが人間に認識されるのではなく、人間の認識の形式が事物の有り方を決定しているのだと考えました。知る対象となる事物は、まず視覚や聴覚や臭覚などの感覚としてとらえられますが、とらえられたものは動物の感性が作り出す映像や音や匂いであって、「物自体」ではありません。動物の感性が、事物の有り様、つまり現象を形作っているのです。特に、動物の感性は、空間と時間という形式を持っており、その形式に基づいて事物が感じ取られるのだと、カントは言います。空間や時間は動物が事物を感じる形式であり、事物を感じることで、初めて対象と共に我々の前に生成するのです。

しかし、感じるだけではまだ認識とは言えません。感性に受け取られた対象は悟性によって仕分けられ、統合され、「犬」や「犬が走る」といった、物や事として認識されるのです。この仕分けと統合は、「分量」「性質」「様態」「関係」といったカテゴリーに従って行われるそうです。これらのカテゴリーは生まれた時から人間悟性に備わっている先天的な形式で、カントは、感性と悟性の形式に沿って認識される現象だけを、客観的実在、科学的実在としました。

ですが、人間は、現象の認識と悟性カテゴリーを基にして「推論する力」、理性も持っています。理性の展開する推論は、数学的に確実なものもありますが、感性によって感知できないものを実在するように見せる詭弁やパラドックスを生み出してしまう性質もあります。それらの中には、魂とか、世界とか、造物主とかといった概念も含まれます。これらは感性で感知できない点で、客観的・科学的に実在するとは言えません。ですが、悟性カテゴリーに沿ってより根源的なものを探求していけば、必然的に導き出される哲学的理念でもあります。実在するとは言えないのに、実在しないと否定して捨てることもできません。なぜこんな理念が生まれるのか。ここにカントは、理性と哲学の真の目的を見い出します。

理性と哲学が実証不能な根源的概念を求めてしまう理由。それは、根源的に不可測な自分の生の中で、いかに行動するべきか、いかに生きるべきかという、行動指標を求めるからです。理性は、進むべき理想を作って人間に示し、導いてくれる灯火です。

それに従うか否かは、意志の問題。

2016年1月17日日曜日

哲人の記 9  パスカル


何かを認識することと何かを信頼することは、別のことです。神についても、その存在を認めることと、その存在を信頼することは、別のことでしょう。

神は、科学的には観測できません。その点では、物理的には実在しない人間の人格や、正義や愛、基本的人権、あるいは民主主義や平和主義の正当性などと等しいと言えます。つまり、全てその実在についての科学的根拠はありません。一人の人間でも、その人の友、恋人、家族、敵の前で、その人がどんな役割を果たしているかにより、認識される人格は異なります。ある人はあなたを信頼できる人と認識して友となり、ある人はあなたを信頼できない人と認識して敵となるかもしれません。その人格を認識することと、その人格を信頼することは異なります。認識があっても、信頼がなければ、協力し合う関係は築けません。

17世紀のヨーロッパ。キリスト教によって秩序と文化を育んできたこの地は、コペルニクスやガリレイ、デカルトなどの登場により近代合理主義が開花していきます。そんな時代、数学や物理の研究において早熟の天才と言われた哲学者がいました。名前はブレーズ・パスカル。10代で機械式計算器を開発したり、幾何学におけるパスカルの定理を発見したり、力学におけるパスカルの原理を発見するなど、30歳までに数学と科学の歴史に名を残す偉業を成し遂げています。

 その一方で彼は、デカルトのように理性によって神の存在を証明しようとしたり、または否認しようとする当時の合理主義を批判し、敬虔なキリスト教徒として、「キリストの愛」、「神の律法と恩寵」、そしてそれを伝える「聖書」という物語への信頼を表明し、唯一の正しき宗教として擁護しました。

キリスト教の神は、人間に愛の癒しをあらしめている存在であり、社会に倫理と法をあらしめている存在です。もし、聖書の物語を偽とし、この宗教を偽とするなら、それはヨーロッパの秩序を作った愛の倫理をも偽として破壊することになります。愛がイエス=キリストを起源とする以上、その物語の権威を信じなければ、愛の倫理が否定されてしまうのです。理性は、この世界にある諸々の科学的実在から、世界を存在させる神的存在を想定することはできます。しかし、神の正義や愛が信頼できるものかどうかは示せません。正義や愛に、科学的根拠はないわけですから。

パスカルは、神の正義と愛を信頼することは、「賭け」であると言います。もし正義と愛の神が存在しないのなら、信頼してもしなくても世界と自分に何の危害もありません。どちらにしたって、世界と自分に不正と憎しみが蔓延するだけです。でも、正義と愛の神が存在するなら、信頼する者には神の愛と天国が与えられ、信頼しない者には罰と地獄が与えられます。だから、信頼することは、信頼しないことより、確率的に優越することになります。パスカルはそう言って、キリスト教信仰を、合理主義時代の無神論の批判から、擁護しようとしました。
 人も神も、信頼するとは賭けること、なんですね。

2016年1月11日月曜日

哲人の記 8  デカルト


この世界の様々な事がらについて僕たちになされている一般的な説明は、本当に正しいのでしょうか。世間的通説は往々にして覆されますし、歴史上の事件から健康科学まで、学術的な定説とされていたものが覆されることも少なくありません。何が真実?何が真理?分からない時は、疑えそうなことは全て疑ってみるという方法があります。方法的懐疑です。

「我思う、故に我あり」とは、あらゆる知識や感覚から、世界と自己の存在、そして神にいたるまで、疑うことのできる全ての事物を疑った16世紀の哲学者デカルトの言葉です。全てを疑ってみた彼は、最後に、疑っていること自体は疑いえない事実であると考えます。なぜなら、疑うことがなければ、逆にどんなインチキくさいことでも全ては疑いえない真実になってしまうからです。疑う、即ち考えるという精神活動自体は疑いえない以上、それを行っている「私」は間違いなく存在するということになります。この明晰判明な事実が、彼の哲学の第一原理となりました。

  ヨーロッパ文明は、ギリシャ哲学とキリスト教を軸にして生まれてきました。ギリシャ哲学の代表プラトンの思想は、4世紀のキリスト教思想家アウグスティヌスによって、ローマ帝国内に広がったキリスト教信仰に取り入れられ、その神学の土台とされたのです。イデアという設計図を基に世界を創造した造物主たる神の摂理と一致するのは、イデアを認識して真理か否かの判断を下せる人間理性だけある、というプラトンのイデア論は、唯一神信仰たるキリスト教の神学に適していたため、この世界観が中世ヨーッロッパ世界の社会と文化を形成することになります。

ヨーロッパにはやがて、ギリシャ・ローマの文明を直接継承・発展させたイスラム教世界の諸学ももたらされ、プラトンの弟子アリストテレスの哲学も伝わり、カトリック教会の秩序の下で、観念論的なプラトン主義と経験論的なアリストテレス主義を統合しようとしたトマス・アクィナスなどの働きによって、スコラ学という体系的学問が形成されました。しかし、このスコラ学には、聖書の記述に反する学説は決して認めることができないという宿命がありました。デカルトと同時代に、スコラ学の説く天動説に反し、コペルニクスの地動説を支持したジョルダーノ・ブルーノは異端審問で火刑となり、ガリレオ・ガリレイは終身刑となりました。

ガリレイ同様、最も純粋な論理的思考である数学によって記述された事象のみが明晰判明な事実、科学的事実だと考えたデカルトは、聖書に矛盾しない体系に固執するスコラ学と決別し、新たな哲学体系の構築を目指します。そのために、方法的懐疑に続けて行ったのが神の存在証明でした。彼は、明晰判明な「考える私」の存在を見出した理性がある以上、それを成り立たせ、それと合致する摂理の源たる神も存在するとし、己の哲学の根本にも神を置くことで、聖書を解釈できる唯一の権威として君臨するカトリック教会とスコラ学に対抗しました。

数学による全自然界の記述を夢見て彼が構築した機械論的世界観。この世界観に基づく近代科学革命は、彼の死後、まさに数学によって世界を描写したニュートン力学の登場によって実現されます。