2016年6月29日水曜日

賢者の巻物 ⑫ 「知の考古学」ミッシェル・フーコー

    歴史とは、例えば革命とか戦争とか経済発展とかについて、その因果関係の説明のために語られる物語です。軍国主義を脱却して平和主義と民主主義を確立したという物語、東西冷戦を経て自由主義が共産主義に勝利したという物語、悪しき「ゆとり教育」を捨て「脱ゆとり」に改善するという物語等々。僕たち人間は、過去を物語として認識し、記憶します。となると、歴史の仕事というのは、あるまなざしを基にした解釈を物語ることだと言えそうです。これに対して、考古学の仕事というのは、ピラミッドや兵馬俑や古墳など、過去の遺物を発掘・発見することです。歴史による物語化がなければ、それらはただの遺物ままですが、物語が事実そのものではないのに対し、遺物とは正真正銘、遺物そのものです。

    20世紀後半、学生と労働者の革命運動に湧くフランスに、心理学出身の思想家として登場したのがミッシェル・フーコーでした。精神疾患の研究をしていた20代の頃、精神病院で行われていた患者に対するロボトミー手術を目にした彼は、心理学・精神医学の科学性に疑問を持つようになりました。そして、これらの学問が定めるところの「狂気」とは何なのかについて、これらの学問の観点から離れ、歴史を遡って探求した『狂気の歴史』を著します。

     中世と、ルネサンス期と、啓蒙主義の時代と、心理学が誕生した19世紀以降とでは、「狂気」についての言説は異なります。激減したハンセン病患者たちが消えた収容施設を埋めるため、初めて狂人を捕まえて収容するようになった中世末。狂人を神に近づきすぎた天才と見るまなざしがあったルネサンス期理性的でないと見なされた浮浪者や無職者や虚弱者や孤児や政治犯が、まとめて狂人として収容され、近代的理性を持たない者=狂人というまなざしが生まれた啓蒙主義時代。19世紀、心理学の登場後は、これらの人々と「本物の狂人」たる精神疾患者が仕分けされるようにはなりますが、非近代性を忌避するまなざしは継承され、「狂気」は排除しなければならない「病い」となります。でも、それも一つのまなざしに過ぎません。狂気の排除に科学的正当性が認められる訳ではないのです。

 その後の著述『臨床医学の誕生』や『言葉と物』においても、フーコーは常に歴史の進歩や連続性を拒絶し、資料に残る言説そのものを発掘していきます。そして、それらの言説が生まれる条件としての各時代のまなざし〈エピステーメー〉を分析することで、現代を診断しようとしました。   

     『知の考古学』は、歴史に進歩や連続性や人間の主体性を見ようとする近代の人間中心主義と対峙しながら、自らの考古学的方法論を理論化しようとした書です。現代のまなざしにおいて過去を格付けし、物語ってきたのが近代的な歴史と言えますが、この書はそうした近代の進歩主義的歴史観から離脱するための、戦術理論として書かれたのでした。

 人間の歴史は、例えば人権とか、平和とか、民主共和性とか、自由とか平等とか愛とか進化とか、そういう何らかの目的が過去から未来に向かって実現されていく物語、などではありません。それぞれの時代にはそれぞれの価値観を伴うものの見方があって、その見方を反映して様々な発言が行われ、その発言の総体がそれぞれの時代の正義を支配します。そして、その正義に適わない状況にあった過去は遅れた社会と見なされ、正義が実現されるべき未来は進んだ社会と仰がれます。フーコーの考古学とは、遺された文書から各時代の発言を読み、その全体的な支配状況を分析し、その時代特有のまなざしを発見することです。
 
    現代のまなざしは、過去のまなざしの進化・発展したものではなく、未来のまなざしも現代のまなざしの進化・発展したものではありません。そこにあるのはただの変化です。僕たちの歴史に、約束された目的などはなく、進化もなければ退化もなく、客観的には意味のない時間の経過があるだけ…。昨日と今日と明日には、何の因果関係もないかもしれない。

    だけど、それでも人間は世界や自分を物語ろうとします。物語ることで世界や自分に意味を作り、その意味を信じて、その意味を食べて生きています。それが、人間という動物の活動であり、生態なんだと、僕は思います。




2016年6月13日月曜日

賢者の巻物 ⑪ 「悲しき熱帯」レヴィ=ストロース


    ガラケーという携帯電話があります。世界的にはスマートフォンが携帯電話市場を席巻しつつある中、日本では費用・サービス・操作性等で独自の進化を遂げた従来型の携帯電話がいまだにシェアの多くを占め、根強い人気を維持しているようです。南米大陸の西方にあるガラパゴス諸島は、太古以来、大陸から孤立しつつ独自の生態系を育んできましたが、ガラパゴス携帯のように、特殊な市場・社会が独自の商品やシステムを育む現象は、ガラパゴス化と呼ばれています。

    個々の環境が独自に紡いできた商品やシステム、そして文化は、その環境に変化がなければ、そのまま独自の進化発展を続けます。でも、外来のよりグローバルな環境で勢力を持った商品・システム・文化が侵入してくると、その独自な成長は絶たれ、淘汰され、やがて消滅してしまいます。そして、どれほどその環境に適したガラパゴス文化を持っていたとしても、それが蹂躙されてしまったら、その地域は、グローバル化した文化が未発達であるだけで、グローバルな基準から未開社会と呼ばれます。

    フランスの民族学者レヴィ=ストロースは、南米ブラジルの先住民社会で行ったフィールドワークの成果と、第二次世界大戦中の亡命先アメリカでロシアの言語学者ヤコブソンから学んだ構造言語学の方法論を元に、論文「親族の基本構造」を執筆します。その著書において彼は、未開社会に見られる婚姻制度・交差いとこ婚には数学的に巧妙な記号体系があり、近親婚を回避して部族社会を維持する構造が成立していることを発表しました。ここに、20世紀後半の思想界に大転換をもたらす、構造主義の狼煙が上がりました。

   「悲しき熱帯」は、レヴィ=ストロースがブラジルの少数民族を訪ねた旅の記録で、未開社会の文化習俗に対する分析と、西洋中心主義に対する痛烈な批判、人類と文明に対する自己の思想を記した極上のエッセーと言われています。この本に登場するカデゥヴェオ族、ボロロ族、ナンビクワラ族、トゥピ=カワイブ族など、人口も言語も習俗も宗教も異なる幾つかの部族の人々はみな、男女ともにほぼ全裸で生活し、その外貌は正に未開人です。しかし、彼等の生活は神話的・呪術的・象徴的な記号の体系によって、独自の豊かさを保守していたのです。レヴィ=ストロースは、こうした未開社会の文化には近代科学の概念的思考と同等の合理性があると言い、それを「野生の思考」と呼びました。   

   しかし、ガラパゴスなそれらの文化も彼がフィールドワークを行ったその時点で辛うじて保守されていただけでした。スペインによりマヤ、アステカ、インカという大文明が破壊され、ポルトガルによりブラジルが植民地とされ、キリスト教宣教師により伝統的信仰が解体され、疫病により暴力的に人口が激減した、悲しき熱帯。紡ぎあげられた文化の織物は、ひとたび断ち切られれば、再び紡ぐ者はやがていなくなるのでした。

賢者の巻物 ⑩ 「相対性理論」アインシュタイン


駅を通過中の列車の中でAさんが、プラットホームでBさんが、同時にボールを下に落とすとします。AさんにもBさんにも、自分のボールは真下へ向かっているように見えます。しかし、列車の速度で進むAさんのボールを、静止しているホームのBさんが見ると、電車の進行方向斜め下向きに進んでいるように見えるはずです。すると、Aさんのボールが移動する距離は、Bさんのボールが移動する距離よりも長くなります。でも、落ちるのは同時。時間は、距離割る速さで求められます。Aさんのボールは、落下速度に列車の速度を加えた速さで進むので、距離も長いけど速度も大きい。ですから、床に到達するまでの時間はBさんと等しくなるというわけです。

次に、宇宙ステーションを光速に近い速さで通過するロケット内でAさんが、宇宙ステーションでBさんが、同時に真下へ向けて懐中電灯の光を照射するとします。すると今度は、Bさんが放つ光が床に到達した時、Aさんの放つ光はまだ床に届いていないのです。なぜでしょう。光速は秒速30万kmより速くはならず、そのため光速で直進するロケットの速度を加えることができないからです。よって、距離は延びるが速くはならない。ですから、Aさんの照射する光が進む時間は、ロケットの移動する距離の分だけ、Bさんを基準にすると遅くなるのです。

1905年、スイスの特許局に勤めていたドイツ生まれのユダヤ人アインシュタインは、博士号取得のために提出した「特殊相対性理論」に関する論文により、人類の世界観に変革をもたらすことになりました。

ニュートン力学は、宇宙に絶対的な時間と空間があることを前提に構築されていたが、電磁気学におけるマクスウェル方程式の発明と、光の不思議な性質の発見で、この前提は覆ることになります。赤道上、地球の自転速度は時速1700km。太陽からの光は、太陽へ向かう位置の方が、太陽から離れる位置より、速くなるはずです。ところが、その差は測定されません。この光速度不変の原理を基に、アインシュタインは科学的事実として、つまり、数式による事象の言明として、絶対的な時空間を否定しました。その代わりに、光速が絶対的な尺度の王座へ就くことになりました。 

慣性系の速度の違いによって、時間は伸びて空間は縮みます。更に、光速に近づく物質の質量は急速に増大して加速を抑え、秒速30万kmを越えないようにブレーキがかかります。質量の増大はエネルギーの増大を意味します。E=mc2。これもまた、アインシュタインが導いた結論の一つです。

1916年、重力が質量による時空間の歪みであることを示すアインシュタイン方程式の完成とともに、「一般相対性理論」が発表されると、次のことが認識されるようになります。つまり、不動の時空間は存在しないこと。時空間は、歪み、捩れ、消え去りもするということ。

これが、数式の描く宇宙の実在です。