2016年6月13日月曜日

賢者の巻物 ⑪ 「悲しき熱帯」レヴィ=ストロース


    ガラケーという携帯電話があります。世界的にはスマートフォンが携帯電話市場を席巻しつつある中、日本では費用・サービス・操作性等で独自の進化を遂げた従来型の携帯電話がいまだにシェアの多くを占め、根強い人気を維持しているようです。南米大陸の西方にあるガラパゴス諸島は、太古以来、大陸から孤立しつつ独自の生態系を育んできましたが、ガラパゴス携帯のように、特殊な市場・社会が独自の商品やシステムを育む現象は、ガラパゴス化と呼ばれています。

    個々の環境が独自に紡いできた商品やシステム、そして文化は、その環境に変化がなければ、そのまま独自の進化発展を続けます。でも、外来のよりグローバルな環境で勢力を持った商品・システム・文化が侵入してくると、その独自な成長は絶たれ、淘汰され、やがて消滅してしまいます。そして、どれほどその環境に適したガラパゴス文化を持っていたとしても、それが蹂躙されてしまったら、その地域は、グローバル化した文化が未発達であるだけで、グローバルな基準から未開社会と呼ばれます。

    フランスの民族学者レヴィ=ストロースは、南米ブラジルの先住民社会で行ったフィールドワークの成果と、第二次世界大戦中の亡命先アメリカでロシアの言語学者ヤコブソンから学んだ構造言語学の方法論を元に、論文「親族の基本構造」を執筆します。その著書において彼は、未開社会に見られる婚姻制度・交差いとこ婚には数学的に巧妙な記号体系があり、近親婚を回避して部族社会を維持する構造が成立していることを発表しました。ここに、20世紀後半の思想界に大転換をもたらす、構造主義の狼煙が上がりました。

   「悲しき熱帯」は、レヴィ=ストロースがブラジルの少数民族を訪ねた旅の記録で、未開社会の文化習俗に対する分析と、西洋中心主義に対する痛烈な批判、人類と文明に対する自己の思想を記した極上のエッセーと言われています。この本に登場するカデゥヴェオ族、ボロロ族、ナンビクワラ族、トゥピ=カワイブ族など、人口も言語も習俗も宗教も異なる幾つかの部族の人々はみな、男女ともにほぼ全裸で生活し、その外貌は正に未開人です。しかし、彼等の生活は神話的・呪術的・象徴的な記号の体系によって、独自の豊かさを保守していたのです。レヴィ=ストロースは、こうした未開社会の文化には近代科学の概念的思考と同等の合理性があると言い、それを「野生の思考」と呼びました。   

   しかし、ガラパゴスなそれらの文化も彼がフィールドワークを行ったその時点で辛うじて保守されていただけでした。スペインによりマヤ、アステカ、インカという大文明が破壊され、ポルトガルによりブラジルが植民地とされ、キリスト教宣教師により伝統的信仰が解体され、疫病により暴力的に人口が激減した、悲しき熱帯。紡ぎあげられた文化の織物は、ひとたび断ち切られれば、再び紡ぐ者はやがていなくなるのでした。

0 件のコメント:

コメントを投稿