もしも、今生きているこの人生が、来世でも寸分違わず同じように繰り返されるとしたら。苦しみ多きこの人生が、何度も何度も永遠に繰り返されるとしたら。あなたは今の人生をもう一度生きてみたいと思いますか?
19世紀後半のヨーロッパ、技術革新と産業革命によって近代合理主義は大衆化し、キリスト教の世界観は科学的な常識に圧倒されてしまいます。かつて科学者ガリレイの地動説を否定したローマ教会の説く宇宙観には、もう権威がなく、人格を持った神は、妖精や魔女などと同様、非科学的な存在と見なされるようになってしまいます。
「神は死んだ。」ドイツの哲学者ニーチェは、この言葉によってこうした時代状況を端的に指摘しました。しかしこの言葉は、単に宗教と教会の権威が落ち、人々が迷信に囚われずに理性によって合理的に生きる時代が到来したことを告げるものではありませんでした。「神の死」とは、普遍的・絶対的な真理や理想が消え失せ、今後数世紀に亘って根源的に無秩序な価値相対主義の時代が来ることを予言する言葉でした。
ニヒリズムとは、普遍的・絶対的な価値基準の存在を一切認められない精神的態度を指してニーチェが名付けた言葉です。神の死は、キリスト教の教えてきた愛や道徳の根拠が消えたことを意味します。そして、何も確実なものがなく、何も信じられない状況で、理想も目標も持てぬまま、ただ惰性的にその日その日を安楽に生きようとするだけの人間が、ゆっくりと確実にヨーロッパの地に増殖していく。近代ヨーロッパが陥りつつあるそうした世相に、ニーチェは警鐘を鳴らしたのでした。
彼は、その状況を生み出した元凶は、ソクラテス以来の真理を求める哲学と、絶対的真理を大衆化したキリスト教であると考えました。そもそも真理などというものは存在せず、それまで信じられていたものはヨーロッパという地球上の一地域の文化が形成した、世界についての視点の一つに過ぎないのに、絶対不変のものだと哲学やキリスト教が信じさせてきたため、それが覆された途端、虚無感に襲われる人々が現れるようになったのだ。そう考えたニーチェは、反哲学・反キリスト教を自己の思想的態度とし、ニヒリズムを克服する方法を人々に伝えようとしました。
ニヒリズムの徹底、それがニーチェのニヒリズム克服の方法でした。つまり、一般の道徳的善悪などは文化や状況によってすり替えられるものだと断じて顧みず、ただ自己にとって悪いものは捨て、ただ自己にとって良い道を選んで進むことで、人生を輝かせることができるのだということです。そうして、再び生まれて来ても全く同じ人生を送りたいと望めるように生きられる人間を、彼は「超人」と呼びました。
この世界が永遠に回帰し、今の人生が永遠に繰り返されるとしたら、あなたは今をどう生きますか。