2015年4月6日月曜日

哲人の記 2  プラトン

 インド人の食べるカレーは日本人には辛すぎます。日本人の食べるカレーもインド人には淡白です。おいしいものは人によって違います。でも、好みの味が異なる二人の人間がいて、お互いにおいしいと感じるものが違っていても、どちらも「おいしい」という言葉は使います。同様に、何が美しく、何が正しいのかも、時により、人により異なることはありますが、「美しい」「正しい」という概念は普遍的に変わらずにあることでしょう。感覚は相対的ですが、概念には絶対的なものがあります。

   
2400年前、ギリシャの都市国家アテネの哲学者ソクラテスは、普遍的・絶対的な「美」や「正義」そのものについて、権威のある知識人たちが無知であることを指摘し、彼らの怒りと恨みを買って死刑となってしまいました。彼の弟子の一人プラトンは、雄弁な者たちの作る空気に扇動されてしまう、民主共和制下の価値相対主義を憎んだようです。そして、ソクラテスがそれについての人間の無知を指摘し、探求の対象とした、普遍的な「美」や「正義」そのものを「イデア」と呼び、人間としての「德」のイデアを求めることが、哲学の目的だと考えました。

 例えば三角形を描いてみます。人間の手やコンピュータの描く三角形は、どんなに精密に描こうとしても、ペンの太さやインクのにじみ、紙面の厚みの違いによって、厳密に完全な三角形にはなりません。でも、モデルとなる三角形の概念やプログラムは完全無欠です。この概念やプログラムが、三角形のイデアです。感覚でとらえることのできる物理的な現実世界は、全て相対的で不完全なものばかり。それに対して、三角形や「美」や「正義」のイデアは、絶対普遍に完全なものです。

   
感覚的に捉えられる現実世界は、完全無欠のイデア界にある諸々のイデアを模倣して神が作った、不完全な影のようなもの。プラトンはそう説明しました。そして、イデアは視覚や聴覚などの感覚では捉えられず、生前イデア界にいた不死なる魂が、哲学でそれらを想起することによってしか、認識できないと説きました。

   
イデア界のみを真の実在とする彼のイデア論は、普遍的な真理や法則を求める後世の哲学や科学、またキリスト教の神学に大きな影響を与えました。でも、プラトンはやがて自らのイデア論に矛盾を感じます。「生物」のイデアは「生きている物」ということになるでしょうが、生き物は皆死ぬものです。とすると、生物のイデアは永遠に「生きている物」なのか、はたまたいつか「死ぬ物」なのか、どちらなのか定かにならず、矛盾を露わにします。イデア論に対する解釈と批判が、この後の西洋哲学発展の歴史となります。

山田太郎

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