2015年5月24日日曜日

哲人の記 5  孔丘仲尼

  人間は社会的動物です。お互いに関係を持ち、共存していくために、秩序のネットワークを集団的に構築します。子供たちは、自分の生まれ育つ人間集団のルールに取り込まれて、ネットワークを構成する端末の一つになることで、初めて、ただの生物ではない人間になれます。

    人間社会のネットワークを構築しているルールには、大きく分けて二つのものがあります。一つは言語で、もう一つは礼儀です。外国人が、滞在する異国の地で最も困り、最も気にするのもこの二つでしょう。でも、勝ち組になること、負け組にならないことが目指される実力主義の時代には、古い礼儀はなにかと疎んじられるもののようです。

    今から2千5百年前の中国は、周王朝の権威が落ちて、諸侯が覇を競い合う戦乱の時代であり、諸侯もまた配下の貴族や更に下の者たちに地位を奪われる下剋上の世界でした。そんな実力主義の時代に現れたのが、諸子百家と呼ばれる哲学者・思想家たちで、彼らは競って社会ルールの再編を図りました。孔子こと孔丘仲尼は、その先駆け的存在です。その孔丘が重視したルールは、戦乱と実力主義の風潮の中で軽んじられることも多くなった、祖霊祭祀など周王朝伝統の古き礼法でした。

    彼は、ルールである「礼」の前提として、他者に対する思いやりの心「仁」を不可欠なものとしつつ、その「仁」は「礼」によって初めて目に見える実体を持つことができると考えました。ちょうど、言葉の意味は音声や文字など言葉の形式が与えられることで初めて実体を持つというのと同じような、そんな関係が「仁」と「礼」の間にはあるようです。そして、「仁」と「礼」を合わせた「德」を、学問と実践によって身に着けた「君子」が、理想の人間であると説きました。そして乱世の中で、そんな君子を指導者と仰ぐ国家の実現、「仁」と「礼」による秩序の回復を目指しました。

    その一方で、合理主義に徹し、神や霊など理性的に認識できないものについては語ることを戒めました。神霊は、世界を認識の対象と見なす精神態度の前には現れず、そのため科学的には実在しません。でも、森羅万象を、自分と交流し関係を持つ対象と見る精神態度の前には、実在する相手として立ち現れます。だから孔丘は神霊を、学問的には語るべきでない、ただ敬うのみの存在としました。

    孔丘の、古き良き礼法への回帰や他者を思いやる心の教えは、既成の秩序を打ち破る下剋上と、敵を出し抜く権謀術数が求められる時代の実力主義者たちには受け入れられませんでした。彼の説く、孝・義・信・忠のいずれも、時代によって覆されました。また、論理的な独断を避け、学習と実践経験によって偏りをなくそうとする中庸の態度は、競争社会ですぐに役立つ合理的知識ばかりを求める二千五百年前の人々には、ちょっと難解過ぎたようです。孔丘は弟子たちとともに長い流浪の旅に出て、自分たちを採用してくれる王侯が現れるのを待ちますが、ついにその機会には恵まれませんでした。

    ですが、深い仁徳を身につけた彼は、生前から聖人と敬われ、死んで数百年後には神として祭られてしまいました。孔丘の言行録「論語」と、彼を宗祖として信仰する儒教が、やがて東アジア文明の礎となります。

山田太郎

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