一人の子どもが生まれます。するとその意識に、無数の色や音や臭いや触感が現れます。そこに何かが、「物」が、確かにあると彼は思います。しかし、目の前の「物」は、彼が後ろを向けば姿を消してしまうのです。一方で、意識は継続して彼の中にとどまっています。確かにあるのは私の意識だと、彼は思います。確かにあるのは「物」か意識か、対立が生じます。ですがこの対立は、目の前の「物」が継続する意識の中に継続して現れ、「それがある」という確かな「事」になることで統一されます。この統一が知覚とよばれるものです。
やがて彼は社会の中で、言葉と概念を身につけます。そして、目の前にある何かが、例えば「机」であることを知ります。その「机」は、「固い」「重い」「茶色い」などという様に、概念的に意識にとどまります。そして、この「机」はそれらの性質を本質として持っていることになるのです。更に、その「机」は、知覚する主体である個人の意識にのみ現れたのではなく、彼が言葉と概念を通してつながっている人類の精神ネットワーク上に現れ出たものでもあります。こうしてこの「机」は、人類の精神世界で客観的普遍的に存在することになります。この意識の働きが、悟性です。
彼の意識は、様々なものの認識の後、終には自分自身を対象として意識するようになります。この自己意識(自我)は、自己内部の欲望を実現しようとしています。が、自然はそれを簡単には許さず、対立が生じます。また、彼と同じく他の人間も、彼と同様に欲望を持っており、双方の自己意識は互いの欲望実現のために対立します。さて、欲望の勝利には限界があります。自己意識は自然や社会の壁にぶち当たることで、その法則を内部に受け入れ、これに従う理性となります。
こうして理性は、人間精神のネットワーク 上にある制度や道徳に従うことになったわけですが、これは一方で自己意識の欲望としばしば対立し、道徳と幸福が矛盾し合うことになります。また、ある制度や道徳は別の制度や道徳と対立することもあります。ここに理性は絶対命令としての道徳を越え、理想を行動によって現実化し、同時に他者の承認も得ようとする「良心」へと発展するのです。
18世紀末、西洋で発展した合理主義はフランス革命へ結実しながら、恐怖政治やナポレオンの独裁へと挫折しました。そんな激動の時代に登場したヘーゲルは、「正」と「反」の対立が「合」として発展を生むという、弁証法的な精神発展の歴史を解明し、人類の精神ネットワークであり世界が実在する場である「絶対精神」に、個人の意識を一体化させることを理想とする哲学を説きました。
彼をもって古代ギリシャ以来の西洋哲学は体系的な完成を迎えることになるのでした。
0 件のコメント:
コメントを投稿